草舎流のプロフィール
草舎流sousharyuの歴史
徳川幕府が崩壊する前に、山口県の萩で吉田松陰の塾生であった三島家に祖母が生まれ、祖先は幕末の坂本竜馬や桂小五郎達と時代を動かし封建制度を倒し祖母の姉は宮家の侍従になり、祖母は函館の当時、最大の規模を擁した海産問屋の田中家に嫁ぐ。
子供達は文学に造詣が深く与謝野晶子や数多くの文人とも交流を深めていく。本家の田中家では、当時、大蔵省出身の池田隼人氏とも親交が深く、本家が高利貸しをしていた経緯もありよく池田隼人氏が本家に出入りしていたようです。物腰が非常に低い方で、朝ベルが鳴ると池田隼人氏が必ず昨日のお礼ということで風呂敷包みにお菓子を届けに来ていたらしいです。そんな、池田隼人氏とは、日本経済の牽引役となり歴史に残る、後の日本国の総理大臣となった人です。
激動期の中、山口の祖母と函館の祖父の間に生まれた田中忠二と太田昌子がやがて結婚をし、3人の子供をもうける。やがて太田昌子は一人でアメリカやヨーロッパで文化やファッションを学びフラワーアレンジメントにも造詣を深めていく。やがて、静岡県の千本松原近くで天昇舞が産声を上げる。生まれてすぐに神奈川県横浜市の山手に移り住み外人墓地や港の見える丘公園や元町で思い出の少年期を過ごす。
母である昌子は利発で、ウエストサイド物語に主演で来日した、ジョージチャキリス氏とも親交があり当時のダンスステージでも一緒に踊った活発な女性だったようです。そんな昌子は祖母からの流派を草舎流と改め、長男として生まれた天昇舞に祖母からの華風を伝授し二代目華道を池坊から草舎流に改め天昇舞に三代目の家元を継がせる。
やがて、天昇舞自身も池坊はじめ草舎流や欧風ヨーロピアンアレンジや日比谷花壇など多くの流派を学ぶ。世田谷のサロンで講師を務め、家元として業務用フラワー装飾や空間ディスプレイなど精力的に取り組んでいる。生花店の店長を歴任してからも、多くのクライアントに素敵なフラワーギフトやブライダルプロデュースなども行う。画家で有名な千住博氏のアトリエや各デパートや銀座の日比谷シャンテや歌舞伎座、ジャパネットたかたスタジオなどにもフラワーコーディネイトを行ってきた。現在もインターネットを通じてフラワーギフトや生花のアレンジや花束ギフトを全国にお届けしている。レンタルフラワーは小型から大型サイズまで自在にアレンジし提供している。東京の新宿区のアトリエ事務所の他に茨城県のつくば市にアトリエを構える。都内の生花店のスタッフとともに高級フラワーギフトを全国に販売している。
名 称 (株)ティー
日本フラワーショー フラワーディスプレイ(高さ2.5m特大型サイズ)